あなたにとって、「12月5日」はどのような一日でしょうか?
多くの人にとっては、年の瀬の忙しさを感じる、普段と変わらない冬の一日かもしれません。
しかし、今から1300年以上も昔。
この日は、ある南の島の人々が歴史の表舞台に登場した、運命の日でした。

今回は、はるか昔、石垣島から海を渡り、日本の歴史にその名を刻んだ「52人の冒険者たち」の物語をご紹介します。
YouTubeで見た方はこちら >https://youtu.be/TAH4NChfHUY
歴史書『続日本紀』に残された「信覚」の記録
奈良時代に編纂された歴史書『続日本紀(しょくにほんぎ)』。
そこに、ある短い記録が残されています。
「信覚(しがき)……島人五十二人」
「信覚(しがき)」とは、歴史上初めて記録された「石垣島」の呼び名です。
そして、それに続く「52人の島人」という記述。
彼らは、サンゴ礁に囲まれた亜熱帯の島で、太陽と風と共に生きる海の民でした。そんな彼らが、想像を絶する旅路の果てにたどり着いたのが、当時の都・平城京(奈良)だったのです。
命がけの1500キロメートル
石垣島から奈良の都まで、その距離はおよそ1500キロメートル。
現代のように飛行機やフェリーがあるわけではありません。エンジンもGPSもない時代です。「板子一枚下は地獄」と言われた荒波を、彼らは手漕ぎの小さな船で越えていきました。
それは、単なる移動ではなく、命を賭した冒険そのものでした。
南国生まれの彼らを襲った「白い試練」
しかし、彼らを待ち受けていた最大の試練は、距離や波の高さではありませんでした。
記録にある「12月5日」は旧暦の日付。
これを現在の暦に直すと、「真冬の1月半ば」にあたります。
想像してみてください。
一年中暖かい南国で生まれ育った彼らが、初めて直面する「真冬の奈良」を。
- 吐く息が白く染まる寒さ
- 手足の感覚を奪う冷気
- そして、空から舞い落ちる冷たい綿……「雪」
見たこともない巨大な都と、経験したことのない極寒の世界。
その中で彼らは震えながらも、島の代表として誇り高く立ち、夜光貝などの珍しい産物を手に、ヤマトの王(天皇)と対面を果たしました。
歴史が語らない「その後」
歴史書には、彼らの「到着」までは記されています。
しかし、その後の物語――52人全員が無事にあの美しい故郷の海へ帰ることができたのか――について、歴史は沈黙を守ったままです。
けれど、彼らが命がけで届けた名前は残りました。
「信覚(しがき)」から「石垣」へ。
その名は1300年の時を超え、今私たちが愛する島の名前として受け継がれています。
おわりに
今度、カレンダーで12月5日を見かけた時、あるいは石垣島の青い海を眺める時。
ほんの少しだけ、思い出してください。
凍える寒さの中、未知の世界を歩いた52人の勇気ある冒険者たちのことを。
彼らが歴史の扉を開いたからこそ、今の「石垣島」があるのかもしれません。
時を超える旅路は、今も私たちの記憶の中で続いています。
